「お客様相手の仕事だから、多少の理不尽は我慢するしかない」
そう自分に言い聞かせながら働いてきた人は、決して少なくないはずです。
レジで一方的に怒鳴られても、電話口で何時間も責め続けられても、「仕事だから」と飲み込んできた。その我慢を支えてきたのは、「お客様は神様」という空気と、「会社は守ってくれない」という半ばあきらめに近い感覚だったのではないでしょうか。
その前提が、2026年10月1日に法律レベルで変わります。
改正労働施策総合推進法の施行により、カスタマーハラスメント(カスハラ)への対策が、すべての企業の「義務」になります。この記事では、何がどう変わるのか、そして働く私たちはこの変化をどう活かせばいいのかを、一次データをもとに整理します。
なお、本文中で紹介する場面の例は、いずれも実際に起こりがちな状況をもとにした架空の例です。
小売店で働く20代のAさん
レジの待ち時間や品切れみたいな、自分ではどうにもできないことで「使えない」「責任者を出せ」と怒鳴られる
コールセンターの30代のBさん
同じ人から毎日クレーム電話がかかってきて、そのたびに1時間近く拘束される
メーカー営業の40代のCさん
取引先の担当者から、契約範囲を超える無償対応を「誠意を見せろ」と繰り返し要求される
上記はあくまで例ですが、こうした場面に心当たりはないでしょうか。
そもそも「カスハラ」とは
カスハラとは「カスタマーハラスメント」の略で、顧客や取引先など、社外の人から受ける著しい迷惑行為を指す言葉です。
職場のハラスメントというと、パワハラやセクハラを思い浮かべる人が多いはずです。パワハラは上司や同僚など「社内の人」から受けるもの。それに対してカスハラは、行為者が「お客様側」にいる点が最大の特徴です。
大声で怒鳴る、「バカ」「使えない」といった暴言を吐く
同じクレームを何度も繰り返す、長時間対応から解放しない
契約や常識の範囲を超えた要求、金銭や謝罪の強要をする
従業員の名前や顔をSNSに晒すと脅す
こうした行為が典型例です。「お客様」という立場上、働く側からは反論しづらく、断りづらい。この力関係の非対称性が、カスハラを深刻にしている構造です。
一方で、商品の不備を指摘したり、サービスの改善を求めたりする正当なクレームや要望は、カスハラには当たりません。この線引きについては、後ほど法律上の定義とあわせて詳しく説明します。
言葉としてのカスハラは、2017年に流通・サービス業の労働組合であるUAゼンセンが大規模な実態調査を公表したことなどをきっかけに広まりました。その後、2024年には東京都で全国初のカスハラ防止条例が制定されるなど、この数年で「個人の我慢の問題」から「社会全体で対処すべき問題」へと、位置づけが大きく変わってきています。
データで見る、カスハラの現在地
では、カスハラがどれくらい「よくあること」なのかを、数字で確認します。
厚生労働省の委託事業として実施された「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」(労働者8,000名対象)によると、過去3年間に勤務先で顧客等からの著しい迷惑行為(カスハラ)を受けた人は10.8%でした。パワハラの19.3%に次ぐ水準で、セクハラの6.3%を上回っています。
カスハラは、およそ10人に1人が経験している「ありふれた被害」です。
業種別に見ると、
生活関連サービス業・娯楽業で16.6%
卸売業・小売業で16.0%、宿泊業・飲食サービス業で16.0%
接客頻度の高い業種ほど経験率が上がります。
受けた行為の内容は「継続的な、執拗な言動」が57.3%で最多、「威圧的な言動」が50.2%で続きます。
サービス業の現場に絞ると、数字はさらに重くなります。
サービス業で働くUAゼンセン所属の組合員33,133名を対象にした2024年の調査では、直近2年以内に迷惑行為の被害に遭った人は46.8%(約半数)
内容は「暴言」が39.8%で最も多く、「威嚇・脅迫」14.7%、「何回も同じ内容を繰り返すクレーム」13.8%と続きます。
※厚労省調査は全業種の労働者・過去3年間、UAゼンセン調査はサービス業従事者・直近2年間が対象です。対象も期間も異なるため、2つの数字は「全体では約1割、接客の最前線では半数近く」という別々の景色として読んでください。
そして、この調査でもうひとつ注目したいのが、被害を受けた人の「その後」です。カスハラを受けたときの対応として「謝り続けた」と答えた人が32.1%。受けた後の行動として「何もしなかった」人が35.2%おり、その理由の1位は「何をしても解決にならないと思ったから」で56.1%でした。
我慢して、謝り続けて、誰にも言わない。この構造こそが、今回の法改正が壊そうとしているものです。
2026年10月1日から、何が変わるのか
今回の改正のポイントは、シンプルに言えばこうです。
カスハラから社員を守ることが、企業の「善意の取り組み」から「法律上の義務」に変わります。
これまでパワハラやセクハラについては、企業に防止措置が義務付けられていました。一方でカスハラは「対策が望ましい」という位置づけにとどまり、やるかやらないかは会社次第でした。2025年6月に成立した改正労働施策総合推進法により、カスハラ対策がパワハラなどと同じ「雇用管理上の措置義務」に加わり、2026年10月1日に施行されます。対象は企業規模を問わず、すべての事業主です。
2026年2月26日には、企業が何をすべきかを定めた国の指針も公表されました。指針では、カスハラを次の3つの要素をすべて満たすものと定義しています。
顧客等の言動であること
業務の性質などに照らして、社会通念上許容される範囲を超えたものであること
それにより労働者の就業環境が害されること
具体的にどんな行為が該当し得るのか、指針に挙げられている典型例を整理します。
分類 | 指針に挙げられている例 |
|---|---|
身体的・精神的な攻撃 | 暴行、脅迫、中傷、侮辱、暴言、土下座の強要 |
威圧的・執拗な言動 | 大声で責める、頻繁なクレーム、同じ質問の繰り返し |
拘束的な言動 | 不退去、居座り、監禁 |
過剰・不当な要求 | 要求に理由がない、契約で想定するサービスを著しく超える要求、不当な損害賠償要求 |
対面だけでなく、電話やSNSなどインターネット上の言動も対象に含まれます。
一方で、大事な線引きもあります。
顧客からの苦情のすべてがカスハラになるわけではありません。
商品の不備を指摘する、サービスの改善を求めるといった、社会通念上許容される範囲の正当なクレームや要望は、これまでどおり対象外です。
守られるのは「働く人の尊厳」であって、「企業がクレームを聞かなくていい権利」ではない。
ここを混同しないことが、この制度を正しく理解する鍵になります。
会社に義務付けられる対応の中身
では、企業は具体的に何を義務付けられるのでしょうか。指針で定められた措置の中から、働く側にとって特に意味の大きいものを挙げます。
カスハラには毅然とした態度で対応し、労働者を保護する方針を明確にして社内に周知する
対処の方法をあらかじめ決めておく。指針には「可能な限り労働者を一人で対応させない」「犯罪に該当し得る言動は警察へ通報する」といった例が明記されている
相談窓口を設け、担当者が適切に対応できるようにする
被害が起きたら事実関係を速やかに確認し、被害者への配慮と再発防止を行う
特に悪質なカスハラへの対処方針をあらかじめ定め、実行できる体制を整える
相談したことを理由に、不利益な取り扱いをしてはならない
「一人で対応させない」「警察に通報する」という具体的な対応が、国の指針に明文化されたことの意味は大きいです。
現場で怒鳴られているとき、一番つらいのは「自分ひとりで受け止めなければならない」ことです。その状況を会社が放置することが、制度上許されなくなります。
違反への罰則はどうなっているのでしょうか。刑事罰はありませんが、パワハラ防止義務と同じ仕組みで、行政による助言・指導・勧告の対象となり、勧告に従わない場合は企業名が公表される可能性があります。採用難の時代に「社員を客から守らない会社」として名前が出ることは、企業にとって決して軽いリスクではありません。
これは「接客業だけの話」ではありません
カスハラと聞くと、店舗や窓口の話だと感じるかもしれません。しかし指針を読むと、対象はもっと広いことが分かります。
指針の言う「顧客等」には、商品やサービスの購入者だけでなく、取引の相手方、問い合わせをしてきた人、駅・病院・学校・福祉施設などの利用者やその家族、さらには施設の近隣住民まで含まれます。
つまり、こういうことです。
BtoB営業が取引先の担当者から受ける高圧的な要求も、対象になり得る
事務職が電話の問い合わせ対応で受ける 高圧的な暴言も、対象になり得る
医療・介護・教育の現場で、患者や利用者の家族から受ける行為も、対象になり得る
人と接する仕事をしているなら、業種や職種を問わず、誰にとっても関係のある法改正です。
そしてもうひとつ、見落とせない視点があります。この法律は、働く人に「守られる側」の顔だけでなく、「加害者にならない側」の責務も定めています。労働者には、他社の従業員への言動に注意を払うことが責務とされました。発注者という立場で、取引先の担当者に強く出ていないか。40〜50代で決裁権を持つ人ほど、自分の言動が問われる側面もあることは、フェアに書き添えておきます。
なお、同じ2026年10月1日には、就職活動中やインターンシップ中の学生などを守る「求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策」も義務化されます。働く人と、これから働く人。両方を守る方向に、法律が一歩動いたタイミングだと言えます。
法律ができても、お客様は明日から変わらない。それでも大きい理由
ここまで読んで、「でも、法律ができたところで理不尽な客が消えるわけじゃない」と感じた人もいるはずです。
その感覚は正しいです。10月1日を境に、怒鳴る人が急にいなくなるわけではありません。この法改正が変えるのは、客の行動そのものではなく、被害が起きたときに会社が取るべき行動です。
思い出してほしいのは、先ほどのデータです。カスハラを受けて何もしなかった人の56.1%が、「何をしても解決にならないと思ったから」と答えていました。実際、同じ厚労省調査では、カスハラの予防・解決の取組を何も実施していない企業が35.5%にのぼります。約3社に1社は、無対策だったのです。
「言っても無駄」という感覚は、個人の弱さではなく、会社に受け皿がなかったことの結果です。
10月以降、この無対策の状態そのものが法令違反になります。相談窓口は必ず置かれ、相談したことを理由にした不利益な扱いは禁止され、対応ルールの整備が求められる。「言っても無駄」の前提が、制度の力で崩れていきます。
もうひとつ、企業側が動く理由があります。厚労省調査では、パワハラやセクハラを含む各ハラスメントの中で、相談件数が「増加している」が「減少している」を上回ったのはカスハラだけでした。放置すれば増え続ける問題だと、データがすでに示しています。義務化と実態増加の両面から、企業は対応せざるを得ない状況に入っています。
消耗しきる前に、「自分」を知っておく
ここで少し、視点を制度から自分自身に移します。
同じようにクレーム対応をしていても、受け流せる人と、深く消耗する人がいます。これはどちらが強い・弱いという話ではなく、ストレスへの向き合い方や感情の動き方が人によって違う、というだけのことです。
問題なのは、自分の特性を知らないまま、消耗し続ける環境に居続けてしまうことです。「みんな耐えているから自分も耐えるべきだ」と基準を他人に置くと、限界のサインを見逃します。
自分に合った仕事や環境を見つける出発点は、制度や会社ではなく、自分自身を知ることです。
自分はどれくらいストレスに耐性があるのか、感情の波はどう動くタイプなのか。それを客観的に眺める道具として、メンタルタイプ診断があります。40問・5〜10分・無料で、ビッグファイブ理論にグリット理論とレジリエンス理論を組み合わせた8つの軸から、自分の心の特性を確認できます。対人業務との相性を考える材料として、一度試してみる価値はあります。
今の環境で消耗が続いているなら、「自分が弱いのか」ではなく「この環境と自分の特性が合っているのか」という問いに変えてみてください。問いが変わると、打てる手も変わります。
働く側が、これからできること
最後に、この法改正を自分のキャリアに活かす具体的なアクションを3つ挙げます。
① 今の会社の「現在地」を確認する
10月の施行を待たず、自分の勤務先に次のものがあるかを見てみてください。
カスハラに関する方針や対応マニュアル
相談窓口(社内・社外どちらでも)
「一人で対応させない」などの現場ルール
すでに整っているなら、その会社は社員を守る意識が高い会社です。何もないなら、施行後にどう変わるかが、会社の本気度を測るリトマス試験紙になります。
② 転職を考えるなら、「社員を客から守る会社か」を新しい判断軸にする
これまで転職先選びの軸といえば、給与・休日・仕事内容が中心でした。対人業務に就くなら、ここに「カスハラからの保護体制」を加えることをおすすめします。
面接やカジュアル面談で、こう聞いてみてください。「顧客対応で難しい場面があったとき、どのような社内体制でフォローされていますか」。義務化後は、この質問にすぐ答えられない会社のほうが少数派になっていくはずです。求人を探す際は、求人サイトのTalentier Gateも活用してみてください。
③ 対人業務の経験を、「我慢の記録」ではなく「実務経験」として言語化する
環境を変える選択をするとき、多くの人が「クレーム対応ばかりで、アピールできる経験がない」と感じます。しかし採用側から見ると、対応が難しい顧客への一次対応、上司へつなぐかどうかの判断、再発を防ぐための報告や工夫は、どれも立派な対人業務の実務経験です。
つらかった記憶ほど感情と結びついているため、自分では価値を言葉にしづらいものです。そこで役立つのが、AIで履歴書・職務経歴書を作成できるTalentier Pathです。経験を箇条書きで入力するだけで、採用実務の経験を持つコンサルタントが監修したAIが、感情を抜いた「事実として伝わる経歴」に変換します。完全無料です。消耗した日々の中に埋もれている経験を、次の環境で評価される言葉に置き換えることから始めてみてください。
まとめ:我慢が前提の働き方は、終わりに向かっている
2026年10月1日、カスハラ対策はすべての企業の義務になります。
理不尽な客が消えるわけではありません。それでも、「一人で耐える」「謝り続ける」「言っても無駄だとあきらめる」ことが当たり前だった構造は、確実に変わり始めます。
会社には社員を守る義務があり、守らない会社はそれ自体が法令違反になる。この事実を知っているかどうかで、今の職場での動き方も、次の職場の選び方も変わります。
我慢を続けるか、声を上げるか、環境を変えるか。どの道を選ぶにしても、選択の主導権はあなたにあります。法律は、その選択を後押しする側に回りました。
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出典
カスタマーハラスメント対策・求職者等に対するセクシュアルハラスメント対策義務化リーフレット(厚生労働省・2026年)
事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(厚生労働省・令和8年厚生労働省告示第51号・2026年2月26日)
令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査報告書 概要版(厚生労働省委託事業・PwCコンサルティング合同会社・2024年3月/企業7,780社・労働者8,000名)
カスタマーハラスメント対策アンケート調査結果 記者レクチャー資料(UAゼンセン・2024年6月5日/サービス業従事の組合員33,133名)
